kira kira blog

キラキラな感じで 。

酔いの果てに

透明な液体を理性とともに飲み込んだその瞬間、わずかな幸福の時間と引き換えに、布団の温もりと安眠を手放すことが確約された。真っ暗な空の下、全身の肌細胞が強制労働へかりだされるような寒さに思わず身を縮こませる。吐き気と寒さと睡眠不足のせいで、多分ピーラーひと削り分の寿命は失われたはず。
酒で楽しんだ代償はでかいなあ。と、気付かされた頃には深夜1時30分をまわっていた。日本酒を飲みすぎるんじゃなかった、寝る危険性が高いと分かっていて空いている座席に座るんじゃなかったなどとにわかに後悔が押し寄せてくる。聞いたことのない駅名を告げるアナウンスで目を覚まし、慌てて電車から降りたものの、最寄駅へ戻る手段などとっくになく、途方に暮れている。

「こんなド田舎で降りなきゃよかった」誰かを敵にまわしそうな恨み節を独りごちてみる。
目の前には人気のないロータリーが広がり、さらに向こうには閑静な住宅街が構えていた。先ほどからタクシーを待っているのだが、車一台すら通りかかる気配がない。家に帰れないのなら、始発まで時間を潰せる漫画喫茶なりファミレスなりを見つけるしかないのだが、寒さをしのげそうな場所が一向に見当たらず、それらを探すためのスマホのバッテリー残量もすでに一桁台というしまつ。ナビ機能を使えばきっとすぐ電池が尽きてしまうだろう。モバイル充電器は重たいからという理由で基本的に携帯していなかった。(モバイルの意味とは)

ヒト科ヒト属とはいえ、その恒常性には限度がある。寒すぎて召されてしまいそう。アーメン、ラーメン。しかし今はラーメンは求めていない。荒廃した胃袋が食物を受け入れるとは考えがたかった。あ、でも麺なしのスープだけは欲しいな、温まりたい。
さらに時間が経過し、ようやく今日はもうタクシーは来ないだろうと悟り始める。こうなるなら電車から降りず、いっそのこと終点まで乗っていた方がよかった。終点はちょっとした観光地で、少なくとも、ここよりは寒さをしのぐことのできる店が連なっていたことだろう。乗車時間を長引かせれば、暖をとりつつ睡眠時間を確保することだってできたはずだ。嘆いてみたところで今更もう遅いのだが。 

「タクシー、こないですね」と、突然背後から声が降りてきた。
人間の声。ふりかえると自分よりも少し若そうな男性がいた。ここの村人だろうかと考え、即座に村人Aさんと名付ける。いや、タクシーを待つということは、ここの村人ではなく、同じく終電を逃したくちかもしれない。
「本当、こないですねえ」と返しながら、この地にきて私ははじめて笑顔になった。気丈に振る舞おうというのもあるが、同じような境遇の人間と会えたことに気持ちが強くなったというのもある。

彼から協力を得るためには、まずは自分の状況を理解してもらう必要があると思い、

「実は、最寄り駅から30分も寝過ごしちゃったんですよ。ここ、全然土地勘ないし、タクシーこないし、どうしようかなって思っていて」と思い切って白状した。

「え、マジですか。それって結構大変じゃないですか」

一緒に笑い飛ばしてくれるという予想に反し、Aさんは若干引き気味な表情をみせる。いや、引かないでよ。どうやら帰路を見失った哀れな人間はどうやら自分だけのようだ。同時に、はて、と気付く。相手の落ち着きぶりから察するに、彼にはまだ帰宅手段が残されているに違いなかった。タクシーを待つくらいだから近距離ではないにせよ、徒歩圏内に自宅があるのだろう。この土地に詳しい人間なのだろうか。
「あの、もしご存じだったら教えて欲しいんですけど、この辺で始発まで時間をつぶせそうな店ってあったりしますかね?」
「ああ、駅の反対側に、カラオケと居酒屋がありますよ」
光明が差した。教えてくれたことに感謝しつつ、もっと早く知りたかったとも思う。
「本当ですか、それって駅の近くですかね」「ええ、すぐ近くにありますよ」「おぉ、マジですか。それならナビ使わなくて済みそう。最初から反対側に降りていればよかったです」「はは、そうですね。こっち側は何もないから。あの道から、向こう側にまわれば、すぐに見つかると思いますよ」
礼を述べて私はそそくさと駅の反対側へと回った。RPGゲームだと、村人から情報収集するのは基本中の基本。その鉄則にならって良かった。まだ一人としか会話していないけど。話の展開は早いにこしたことはない。私は千鳥足でかけぬけた。ぐるりと小道をまわると、古ぼけた看板のカラオケ店とチェーン店系の居酒屋が視界に浮上する。文明開化は駅の反対側に広がっていた。体感温度が1度上昇する。
本日のシェルターは、カラオケではなく、居酒屋へ定めることにした。そういや私がここへたどりついたそもそもの要因って酒じゃなかったっけ。この期に及んで居酒屋を選ぶのって人としてどうなんだろうなどとうだうだ考えつつ全国チェーン店らしきその扉をあけた。いらっしゃいませ。店内から威勢の良い声が聞こえる。威勢のよさに後押しされ、恥をしのいで切実な質問をぶつけてみた。
「あの、ここって何時まで営業してますか。始発までやってたりしますかね?」
深夜の時間帯、女性が一人で居酒屋の暖簾をくぐり、営業時間を尋ねることの意味を店員さんもきっと察知してくれたのだろう。莞爾として、「はい、始発の30分前まででしたら営業していますよ」
本日二度目の、助かったという実感が湧く。ありがたく閉店ギリギリの時間まで居させてもらうことにしよう。正確な閉店時間を確認したあと、仕切りのある個室へと通された。仮眠をとるには好都合な部屋のつくり。しかし仕切られているとはいえ、堂々と寝っ転がっていたら、店側はあまりいい顔しないだろう。座りながらうまく仮眠を取ろう。
お腹も空いていないし、酒も飲みたくなかった。けれど、何も注文しないわけにはいかないので、メニュー表を開いてみると、ボージョレヌーボーがあった。ああ、今年まだ飲んでいないな。見知らぬ土地で心細い思いをしているのだから、安易にこういった商業主義的なキャンペーンにのっかってみるのもおつじゃないかね。と、呼び出しボタンを押し、ボージョレヌーボーとついでに胃に優しそうな雑炊をオーダーする。
飲み物はすぐに運ばれてきた。それはとても若い味がした。

首をもたげながら、何度か夢をみた気がする。寝心地はあまりよくない。浅い夢が途切れ途切れに続いていて、身体は休まらない。でも全く眠らないよりはマシだろう。
夢とうつつを行き来していると、賑やかなグループが来店してきた。こんな深夜に来客か。といってもスマホの電源は切ってるし、正確な時間なんて分からないけれど。彼らも終電を失ったのだろうか。声から察するに、女性2名、男性1名という組み合わせのよう。私の個室の近くに、彼らは着席したようだ。
酒がスムーズに運ばれてきたのか、すぐにカンパーイという明るい発声が聞こえ、宴がはじまった。賑やかな客は良い、陽気さは尊い。こちらの気も紛れるし他人の会話は暇つぶしにもなる。
最初は談笑していた彼らだった。しかし、その明るさが持続することはなかった。
「こんな仕事やだよ。私もう疲れちゃった」と、女性の声。
「そうだよね、辛いよね、もう無理しない方がいい」と心配そうに返す男性の声。
「お父さんにもこの仕事やめたいって言った。でもやめるなって。私体力がもたないの、とにかく休みたいのに」
会話から察するに、水商売のキャスト2人とボーイ1人という組み合わせだろうか。お父さんとは、実父ではなく勤め先のオーナー、もしくは店長といったところか。一人の女性が涙声で喋り続け、別のもう一人の女性と男性が彼女の身を案じる、そんな会話が続いている。泣いている女性の日本語は少々ぎこちなく、海外からの出稼ぎかと想像する。
辛い。なぜ深夜の居酒屋で寂しく眠気と戦いながら、飲みたくもないワインと食べたくもない雑炊を口に含み、見知らぬ女性の辛い労働話を聞いて、気落ちしなくてはならないのだろう。

けれど一番しんどいのは泣き続けている女性だろう。仕事が辛い、健康状態が不安だ、辞めたい。そんな断片的な言葉を耳で拾いながら、彼女が理不尽な環境から一刻も早く逃れてくれることを切に願う。詳しい事情は知らないけれど、彼女がちゃんと逃げ場所を見つけてくれるかが気がかりだ。他の同僚二人も大丈夫なのだろうか。

会話に触発され、労組員だった頃に出会った人たちの顔や、団交や争議などの記憶が、走馬灯のように流れだした。全ての労働は茶番だ。会議室で誰かが放った金言が蘇る。頼もしすぎる言葉に会議の場が沸いた。そうそうあれはおもろかった。いつもこうして軽く笑い飛ばせれば良いのにな。けれど笑い飛ばすには、労働者の生活ってあまりにも雇用者に掌握されすぎている。まあ雇用者は雇用者で大変なんだろうけどさ。涙を流しながら労働相談に訪れた複数の顔が思い浮かぶ。なぜ人は労働ごときに追い詰められなくてはならないのだろう。

結局三人組は一時間も店にいなかったんじゃないかとおもう。しんみりとした空気を残しつつ、店の外へと出て行った。

店内が静まり、再びウトウトとしていると、ふすまをノックする音が聞こえた。「はい」「失礼いたします。ラストオーダーの時間ですが、何かご注文はございますか」

もう少し場所代払おうかという気になった私は、「じゃあ、アイスティーを一杯だけ」
営業時間がもうすぐ終わる。それなのに今更ボージョレヌーボーのツケがまわってきたのか、にわかに吐き気が込み上がってきた。チェイサーを頼んで正解だった。が、アイスティーよりも吐き気の方が早く、観念して洗面所へと向かう。鍵をがちゃがちゃと乱暴にかけ、洋式トイレの蓋をあけ、横隔膜の痙攣に身を任せるがままに嘔吐した。

自然と涙が込み上げてくる。馬鹿だなあ。本当に馬鹿。日本酒で懲りたんじゃないのか。アルコールと共に後悔が身体中を巡る。
先が思いやられた。これから店を出たら始発電車がくるまでの間、再び厳しい寒さを耐え抜かなければならない。体調を整えるのなら今のうちだろうと口を開けたが、胃が空っぽになったのかもう何も吐くことができなかった。
手を洗い、口を軽くゆすいだ後、何食わぬ顔で席へと戻ると、机にアイスティーが置かれていた。一口だけ含んでみる。気を遣って注文したものの、かえって店員のグラスを洗うという手間を増やしてしまっただろうか。

時刻確認のためスマートフォンの電源ボタンを長押しした。もう電池残量は使い切ってしまっていいだろう。麻痺したままの脳でこれからの段取りについて考える。一刻も早く始発電車にこの身を運ばせてしまおう。電車に乗ったら、今度は寝過ごさないよう気をつけること。最寄り駅についたら自転車には乗らずにタクシーを拾うことにしよう。家についたらすぐにシャワーを浴び、半乾きの髪のままベッドへダイブ。あ、お腹が途中ですくだろうから、事前にコンビニで朝ご飯でも調達した方がいいのだろうか。寝てる途中水分が欲しくなるだろうから、枕元に水を用意しておくのも忘れないようにしよう。
そして、もう二度とこんなところには来るものかと強く心に誓う。罰当たりな誓いを立てつつも、今日この地で出会った人達の幸福を願った。村人さん店員さん深夜来客三人組に幸あれ。二度と会うことないけど、まあ会えて良かったと思うことにしよう。
弱々しく起動したスマートフォンに時間が表示された。さまざまな人の助けにより温存した体力と気力をフル活用し帰宅すべく、約10分後、この店をあとにする。