kira kira blog

キラキラな感じで 。

焼肉派閥

美味しい。あれもこれも全てが美味しすぎる。前菜のしっとりとしたお肉の刺身やお口直しのお出汁のスープに舌鼓を打ちつつ、馥郁たる赤ワインをあおる。今日が週の半ばじゃなくて金曜日なら良かったのにと翌日の体調を気にかけつつも、まあまあ早いペースで酒がすすむ。自重しなければならない。

「前菜だけでかなりお腹いっぱいになりそう。ちゃんとメインディッシュの肉まで食べられるようにお腹の容量あけとかないとな〜」

喜び9割、胃袋と肝臓の強さが無限大だったらいいのになあという悔しさ1割の悲鳴をあげると、「デザートもあるからね」とこの店を探しあて予約してくれた神なる先輩がさらに嬉しくなるようなことをいった。お出汁のスープを口に含むと、鰹節の味が口いっぱいに広がる。ああこれは酒を飲んだ次の日に欲しくなるやつだ。

会社の功績表彰のお祝いで肉料理の店に来ていた。表彰のお祝い、といっても今回優秀賞を得るにあたり、私はほぼ何も寄与していない。ほんの少し手伝っただけ。

おこぼれ最強。おこぼれ上等。肉料理の店が予想以上に良かったことに上機嫌でいると、隣のテーブルから「よし。じゃあ今から今回の受賞に関して各自何に貢献したのか、一人一人発表していこうか」とまるでこちらの内心を見透かしたような恐ろしい提案があがり戦慄する。

「それだけは勘弁を」

「私なんて〇〇君と同じ部署だから呼ばれただけで、全然全く何もしていないよー」

周りの口々に言い合う様子から察するに、自分並みに、いやそれ以上に何も寄与していない人間が存外混じっているようであり、もしかしたら私は彼らよりはまだマシなのかもと、最低な感じで心強さを得る。なんなら一言くらい発表してもいいのかなと調子に乗った考えすら頭をよぎったが、結局“他人の功績に便乗している人スクリーニング“は決行されることなく、ことなきを得た。

「私はタン塩が好きかなあ」

「あ、自分もタン!」

「俺は断然ハラミ」

肉料理を食べていることもあり、話題は好きな焼肉の種類へともつれこみ、

「私はカルビ派」と私は答えた。

「え、カルビかぁーまだ若いんだな。羨ましい〜」ハラミ派の先輩が目を丸くして大袈裟に驚く様子に、ハラミ派とカルビ派の隔たりを垣間見たような気がして、「いやあ、どっちかというとハラミ好きの方がなんか食通な感じがして羨ましいですけどね〜」と日和見をする。

でも、それは薄っすらと感じてきたことでもある。脂という装飾やチート要素を必要とせず、肉の素材そのものを堪能できる彼らの方が、上等な舌の持ち主なんじゃないかと。肉は脂がのっているほど美味しく最高という健康度外視の快楽主義極まりない思考回路からすると、彼らはよりスマートで洗練された大人に見えたし、人としての格が違うような気さえした。そういえば、会社でカルビ派な人間は、自分以外聞いたことがない。

てか、カルビ派って名乗るの、もはやバカ舌ですって告白するのと同義じゃね?いや、そもそも焼肉を食べること自体、環境問題やら動物愛護的観点からすると愚行と言わざるを得ないよな。と、同胞すら敵にまわしかねず、他人からすればおそらくどうでもいいうえに謎すぎる被害妄想により、コンプレックスがより強固になっていくのを感じながら、「あ、でもハラミも好きですよ」

そう。動物性タンパク質はどれも魅力的なのだ。そういえば知り合いの寺の住職ですら鳥と魚は食べると言っていたっけ。(四つ足をつく動物は避けるそうだが)

考えるだけバカバカしいので、ビールを頼んだ。

「やっぱりまたビールに戻るんだ」と、周りはそんな私をみて苦笑する。

ワインやらハイボールやらを散々飲んだ挙句、再びビールへ戻るというこの行為を、よく人から不思議がられる。ビール党からすれば平常運転なのだが、ビールを最初の乾杯だけの飲み物ととらえる人からするとそうはならないらしい。

よくビール飲み続けて太らないねー、俺なんか入社から10キロ近く太ったよー、という言葉を笑い流しつつ、私も8キロ近くは太ったんだよなあと思い至るが、その事実はふせておいた。

美味しいものを食べることは良いことだ。食べすぎて体重を増やしてしまったとき。肉を食べることに対し気まぐれな感じで動物愛護由来の罪悪感を抱いた時、開き直りのようにその言葉へ立ち返ることにしている。ビーガンコンプレックスを抱く人からの受け売りだった。なんでも、ビーガンへ共感しつつ自分は菜食主義にはなれないからと、逆張り理論武装(屁理屈?)を試みて得た結論がこれだったそうだ。美味しいものを食べることは良いこと。ろくでもない人間の発言だったが、汎用性があるので私も活用させてもらっているし、これからも美味しいものを食べて罪悪感を覚えるたび言い聞かせるだろう。