kira kira blog

キラキラな感じで 。

新年に

年末に風邪を引いてしまった。風邪を家族にうつしたらマズイなあと思いながらも、ちょうど元旦のお昼時間に叔父と叔母が家を訪ねてきたため、空腹には抗えず叔母二人と伯父の四人でお節料理を食べることになった。念の為、取り箸を使って、重箱から皿へ自分の食べる分だけを取り分けていく。

スパークリングワインと赤ワインと体調の悪さが入り混じってまあまあ酔っ払い始めた頃、前後の脈絡は覚えてないが、私の弟夫婦が飼っているウサギの話題になり、

「この間、あの子の家遊びに行ったけど、一階のほとんどがウサギに占領されていたわよ」と年上の方の叔母が呆れたように言った。

一階を占領というのは少し大袈裟なんじゃないかと笑ったが、確かに弟の家に行ったときの記憶を辿るとウサギを自由に遊ばせるためのサークルはゆうに1階フロアの8割程を占めていたっけ。

「まさかあの子が動物好きになるとはねえ」と感心しながら「まあ、小さい頃はうちの両親が動物飼うのを許さなかったから、飼いたくても飼えなかったことに対する反動もあるのかもしれないね」と付け加える。

すると年上の叔母の方が目を丸くして、「え、そんなことないでしょう。あなたの両親だって犬を飼っていたじゃない」と言うので、今度は私が驚く番だった。

両親が犬を飼う?それは、あり得ない。むしろ彼らは動物嫌いだったはず。少なくとも、私に犬と過ごした記憶はない。

「あ、でもそれってまだあなたが生まれる前の話じゃないっけ?」と別の叔母が言ったので、であれば知らないはずだと一旦は納得するも、あれほどまでに動物を飼うことを忌避していた両親が犬を飼っていたとはにわかに信じがたかった。飼っていたのが事実だとすると、愛犬の写真の一枚や二枚残っていそうなものだけど、そういった類のものは一度も目にしたことがなかった。

「あ、そうか。確か」

叔母の次の言葉に私は愕然とした。

「あなたが産まれてくるからって、殺処分しちゃったのよ」 

「殺処分?」と、つい予定外の非難めいた声を上げてしまう。

ペットを飼うなら最期まで責任を持つこと、安易な気持ちで飼い始めないで、責任取れない飼い主は人としてあり得ない。ツイートのようなナレーションが次々と脳内に自動再生されては炎上の様相を呈していき、最近Twitterを離れてはいるものの、まあまあなツイ廃であることを自覚する。

「なんで私が生まれるからってそんなことしたんだろう」

努めて冷静に聞いたつもりでも、少し詰問調になってしまったかもしれない。そして、聞きながらも、あの神経質かつ保守的な父が、娘への危害になり得るものを予め全て除去するためにそうしたに違いないという確信を得ていく。犬が子に噛み付いたら。子が動物アレルギーだったら。想定し得る危険要因に際限はない。雑草一つない舗装された道を我が子に歩ませたがる人だった。ほとんどそれを使命にしていたと言ってもいい。子供のためならと、突拍子もない決意を下すことが容易に想像できる。

「いや、殺処分はさすがにしていないんじゃないかな。きっと誰か他の人に引き取ってもらっただけだよ」私の心の内奥を察してか、年下の方の叔母が少し焦るようにアシストする。

私も半ば自分に言い聞かせるように、「そうだよね、さすがに動物愛護法とかあるんだし、きっと多分できないよ、そんなこと」と言葉を濁す。

その犬が誰にどう引き取られたのかを、結局誰も口にしない。知らないのだろう。事実がどうであれ、今更年老いた両親に剣突をくわせる気はない。ただ、当たり前だけど、家族とはいえ全然考え方も違う人間なんだな、とだけ思った。当たり前だが、私が産まれたせいで犬が、という考え方を、私はしない。

委細はきっと知らなくていい。また一つ知るべきでないことが増えてしまった新年だった。

 

焼肉派閥

美味しい。あれもこれも全てが美味しすぎる。前菜のしっとりとしたお肉の刺身やお口直しのお出汁のスープに舌鼓を打ちつつ、馥郁たる赤ワインをあおる。今日が週の半ばじゃなくて金曜日なら良かったのにと翌日の体調を気にかけつつも、まあまあ早いペースで酒がすすむ。自重しなければならない。

「前菜だけでかなりお腹いっぱいになりそう。ちゃんとメインディッシュの肉まで食べられるようにお腹の容量あけとかないとな〜」

喜び9割、胃袋と肝臓の強さが無限大だったらいいのになあという悔しさ1割の悲鳴をあげると、「デザートもあるからね」とこの店を探しあて予約してくれた神なる先輩がさらに嬉しくなるようなことをいった。お出汁のスープを口に含むと、鰹節の味が口いっぱいに広がる。ああこれは酒を飲んだ次の日に欲しくなるやつだ。

会社の功績表彰のお祝いで肉料理の店に来ていた。表彰のお祝い、といっても今回優秀賞を得るにあたり、私はほぼ何も寄与していない。ほんの少し手伝っただけ。

おこぼれ最強。おこぼれ上等。肉料理の店が予想以上に良かったことに上機嫌でいると、隣のテーブルから「よし。じゃあ今から今回の受賞に関して各自何に貢献したのか、一人一人発表していこうか」とまるでこちらの内心を見透かしたような恐ろしい提案があがり戦慄する。

「それだけは勘弁を」

「私なんて〇〇君と同じ部署だから呼ばれただけで、全然全く何もしていないよー」

周りの口々に言い合う様子から察するに、自分並みに、いやそれ以上に何も寄与していない人間が存外混じっているようであり、もしかしたら私は彼らよりはまだマシなのかもと、最低な感じで心強さを得る。なんなら一言くらい発表してもいいのかなと調子に乗った考えすら頭をよぎったが、結局“他人の功績に便乗している人スクリーニング“は決行されることなく、ことなきを得た。

「私はタン塩が好きかなあ」

「あ、自分もタン!」

「俺は断然ハラミ」

肉料理を食べていることもあり、話題は好きな焼肉の種類へともつれこみ、

「私はカルビ派」と私は答えた。

「え、カルビかぁーまだ若いんだな。羨ましい〜」ハラミ派の先輩が目を丸くして大袈裟に驚く様子に、ハラミ派とカルビ派の隔たりを垣間見たような気がして、「いやあ、どっちかというとハラミ好きの方がなんか食通な感じがして羨ましいですけどね〜」と日和見をする。

でも、それは薄っすらと感じてきたことでもある。脂という装飾やチート要素を必要とせず、肉の素材そのものを堪能できる彼らの方が、上等な舌の持ち主なんじゃないかと。肉は脂がのっているほど美味しく最高という健康度外視の快楽主義極まりない思考回路からすると、彼らはよりスマートで洗練された大人に見えたし、人としての格が違うような気さえした。そういえば、会社でカルビ派な人間は、自分以外聞いたことがない。

てか、カルビ派って名乗るの、もはやバカ舌ですって告白するのと同義じゃね?いや、そもそも焼肉を食べること自体、環境問題やら動物愛護的観点からすると愚行と言わざるを得ないよな。と、同胞すら敵にまわしかねず、他人からすればおそらくどうでもいいうえに謎すぎる被害妄想により、コンプレックスがより強固になっていくのを感じながら、「あ、でもハラミも好きですよ」

そう。動物性タンパク質はどれも魅力的なのだ。そういえば知り合いの寺の住職ですら鳥と魚は食べると言っていたっけ。(四つ足をつく動物は避けるそうだが)

考えるだけバカバカしいので、ビールを頼んだ。

「やっぱりまたビールに戻るんだ」と、周りはそんな私をみて苦笑する。

ワインやらハイボールやらを散々飲んだ挙句、再びビールへ戻るというこの行為を、よく人から不思議がられる。ビール党からすれば平常運転なのだが、ビールを最初の乾杯だけの飲み物ととらえる人からするとそうはならないらしい。

よくビール飲み続けて太らないねー、俺なんか入社から10キロ近く太ったよー、という言葉を笑い流しつつ、私も8キロ近くは太ったんだよなあと思い至るが、その事実はふせておいた。

美味しいものを食べることは良いことだ。食べすぎて体重を増やしてしまったとき。肉を食べることに対し気まぐれな感じで動物愛護由来の罪悪感を抱いた時、開き直りのようにその言葉へ立ち返ることにしている。ビーガンコンプレックスを抱く人からの受け売りだった。なんでも、ビーガンへ共感しつつ自分は菜食主義にはなれないからと、逆張り理論武装(屁理屈?)を試みて得た結論がこれだったそうだ。美味しいものを食べることは良いこと。ろくでもない人間の発言だったが、汎用性があるので私も活用させてもらっているし、これからも美味しいものを食べて罪悪感を覚えるたび言い聞かせるだろう。

地雷系

少し煤けた黒いスカートに、フリルが幾重にもあしらわれたブラウス。髪を高い位置で二つに結き、足元にはリボン飾りの付いたテカテカ素材の擦り傷の目立つ靴。それらを身に纏った女性を横目に見ながら既視感を覚えている。昔好きだった系統の服。以前まではロリータファッションとカテゴライズされたそれは現代風の言葉に置き換えると““地雷系“に当たるのかもしれない。

チー牛、モンペ、毒親。次から次へと生み出される蔑称を見聞きするたび、人はうまいこと言葉を当てがってきたものだなぁと良くも悪くも感心する。地雷系についてはそんなに調べたわけじゃないけれど、依存体質でホストに通い湯水のようにお金を注ぎ込むような、扱いやすく頭の弱い女性を指しているのだと何となく予測がついてしまう時点で、まるで脳みそ全体をミソジニーに支配されたようだと自己嫌悪する。名詞一つで彼女たちを見つめる視線の種類まで変わってしまうみたい。ああはなりたくないな、と願ってしまう自分がいて、さらに頭を抱える。

他人の目なんて気にしない、と自らに言い聞かせつつ、過剰に人の目を気にしながらロリータ服を着て外出していた時のことを思い出す。誰にも会わないよう注意を払ってエントランスに向かったものの、エレベーター内でおそらく同じマンション内に住む小さな女の子二人と遭遇してしまったことがあった。二人は私を指差し「お姫様みたい」とはしゃいだ。ロリータ服を着るとはこういう思いがけない不意打ちを喰らうこととニアリーイコールなんだよなあと苦笑しながらも、ありがとうと返した。

それでもロリータのメゾンが好きだし世間の目と闘ってでも好きな物を貫く、と当時はある種の矜持のようなものを抱いていた。

今ではその気合いすら嘲笑うような言葉が用意されている。

そうか、私は昔の私が地雷と雑に括られることに傷ついているんだなと思い至る。

 

 

スポーツとナショナリズム

新宿のハブで飲もうとしたら、ちょうどラグビーの試合の日に当たったらしく、テレビ中継目当ての客でごった返していた。

「こりゃ無理だ」引っぱったドアノブを即座に押し戻して、仕方なく踵を返す。歩きながら、幼い頃、週に一度の楽しみだったセーラームーンのアニメが野球の試合のせいで放送延期になった時の怒りが再燃する。まただ。またスポーツに阻まれた。セーラームーンの恨みは一生。酒にありつけなかった恨みも一生。怨念は成仏することなく亡霊のように漂い、邂逅するたび私を燻らせる。

赤と白の旗の下、まるで即席カップ麺のようなお手軽さをもって生まれる団結心。サポーター席に日の丸が揺曳する映像が意識へ割って出てきて、やはりスポーツとナショナリズムを切り離すのは難しいのだろうかと思う。大事な試合はテレビにかじりついて応援すること、日本人なら日本チームが勝ったら喜ぶのが当たり前そんな号令を無条件に受け入れて喜ぶことが、観戦を楽しむ上での最適解なのかもしれない。自国が好きで当たり前という最大公約数的な感覚を有する人たちに支えられ、スポーツはまたデカい顔をする。集団の流儀に馴染めばきっと熱狂を分かち合える。けれど、一度根を張ったナショナリズムへの忌避感覚は揺るぎそうになく、だいたい他人の試合観戦に時間をさくのってなんか時間が勿体ないし、あまり関心も持てないんだよなあという気持ちがいつも先行する。

労組に加入していた頃、日の丸にバツ印を付ける系の人間が私の周りを囲んでいた。労組員たちとデモの告知文を作った時のことを今でも思いだす。文章のなかで、”国民”という主語を使おうものなら、その単語は真っ先に削除される。なぜ「国」でくくろうとするのか、非国民は参画できないのか、無意識的な排他性を指摘する声が飛び交い、最終的に”国民”は、他の言葉へと着地する。

一連のやりとりに、頬をはたかれたような心持ちになった。自分の中に存在しなかった概念。具材同士をくっつけようと小麦粉を練り込むように、文をつなぐ接続詞的用途でしか使ってこなかった“国民“が、他の誰かの参画を阻害するなんて、思いも寄らなかった。想像が及ばなかった。その事実が、いかに自分が差別や迫害に無頓着なまま蚊帳の内側でぬくぬくと過ごしてきたかの証左にも思え、自己嫌悪する。誰も置き去りにしないこと。彼らから伝播した感覚は根を張り巣を作り、多分このまま永住する。

ナショナリズムに判断を狂わされた人たちを見ていると、愛国心は一時的な高揚感こそ与えるが、基本的には毒なのだろうと気付かされる。Twitterを見ればわかりやすい。目も当てられないような差別発言を繰り返す人たちは大抵日の丸アイコンだし、命からがら日本へ逃れてきた難民に冷酷極まりない入管法改悪を当てがったのも”保守”を自称していた人たちじゃないか。国家という大枠にとらわれるあまり、彼らのなかで人一人分の命の質量が軽減されてしまうのかもしれない。

「その髪の色、日本人じゃないよね」  

「よく見たら眼の色まで茶色い。日本人なら黒髪が普通だよ」 

「変な色」

小学生の頃、クラスの子から向けられた言葉が時折脳裏に蘇ることがある。私だって常に蚊帳の内側だったわけじゃない。幸か不幸か、私がナショナリズムに侵食されきらずに済んだのは、こうして蔑まれた経験があるからかもしれない。どこの国籍の人間と見られようが別に構わなかったが、同い年の子たちから爪弾きにされたことだけが恥ずかしかったかな。

同級生たちが私に優しくなる頃、入れ替わるように、今度は学校が地毛証明書を求めてくるようになった。

「本当にお前、染めてないのか?」親に書いてもらった証明書を提出すると、生活指導の先生が叫んだ。疑われるんじゃ証明書の意味がないな。そこまで明るい髪色だとは思わないけど、他人からみたら派手にうつるのだろうか。

先生からひととおり頭髪チェックを受けた後、「髪が痛むからドライヤーは使いすぎないように」と言われようやく帰された。

なぜ、中年太り気味で、自分よりも明らかに不細工な人間から、見た目のことでくだくだと説教されなきゃならないのだろう。それにドライヤーを使わず濡れたまま放置する方が髪は痛むし、教師のくせに情弱すぎじゃないだろうか、と心の中の悪態がいつまでも止まらなかった。

理不尽な校則は現在でもなくならず、いまだ地毛証明書を求める学校もあると聞く。むしろ、私が学生の頃よりも悪化傾向にあるのだとか。以前、教師が頭髪の明るい生徒の髪の毛に黒いスプレーを振りかけたという事件を記事で目にした。とても他人事とは思えず、被害を受けた生徒がトラウマになっていないか心配だし、胸が痛くなった。人権侵害。大人になった今ならスムーズにその四文字を当てがうことができる。子供のときはそんな知恵もなかった。

愛国心を抱くのも日本人らしいものを好きでいるのも個人の自由。だから好き好きやってくれればいいと思う。けれど、こちらのことはほっといて欲しいと、切に願っている。

 

若者に食べさせたがりメンタリティ

宿泊先付近のイタリア料理店で食事をしていた時のこと。近くの席にいた大学生らしきグループが料理を次々と平らげていく様子が目にとまり、その健啖ぶりに驚かされた。膝にはナプキンを敷き、ナイフやフォークを慎重に扱うような雰囲気の店だというのに、見栄え良く盛られた肉が、魚が、野菜が、瞬く間に消えいく。なぜだろう。掃除機みたいに食べ物を無我夢中で吸い上げていくそのさまが何だか微笑ましく、ほぼ無意識的かつ無遠慮に見続けてしまった。はたと我に帰り凝視をやめる。以前までなら彼らを見たところで何の所感もいだかなかっただろう。なのに今、食べ方が汚ければ汚いほど、たまたま近くに居合わせただけの客席に対する微笑ましさ度合いは増していくような気がする。こんな気持ちになるなんて。歳をとったせいだろうか。連れに聞くと「それは歳だね」と返された。 

たくさん食べる若い人を見ると、たらふく食べさせてあげたくなる。自分にそんな感情が芽生えつつあることに気づき、何とも言えない気持ちになる。

彼らくらいの年齢だった頃、自分へしきりと食べさせてこようとする大人たちを、私は忌避していたのだ。

「それしか食べないの?だめだよもっと食べないと」

当時、学校や会社へちんまりとした弁当箱を持参する私をみて小言を挟んでくる人たちが、煩わしかったし、放っておいて欲しかった。食事こそが最重要課題と言わんばかりに説得してくるけれど、私としては3食食べること自体が億劫で、なんなら最低限の栄養摂取を点滴で済めばいいのにって思っていた。我ながら面倒くさがり屋にも程があるとは思うが、私は私だから仕方がない。

20代前半の頃は今よりもずっと痩せっぽっちで、その体型が彼らの教条主義へ余計に拍車をかけてしまっていたのかも。なにも一食抜いたところで死にやしないのに。憚りなくそう反駁できれば良かったが、火に油どころかガソリンを撒き散らすだけなのが目に見えたのでのみこんだ。

そんな私がいま、若者へ食べさせたがり系な人々のメンタリティへと歩み寄りつつある。和平の日は近い。変化をもたらした要因として、私自身が食事を好きになったことが大きいのかもしれない。お酒と食事のマリアージュを知るまで、きっと味覚の一部が死んでいたのだ。

人生の楽しみが増えたのは有り難い。が、増加しすぎた体重を少しでも減らさないかと悪あがきする今日この頃,

ライブ中の所感と奇跡

箱の中は満遍なく冷やされていたが、この先人が芋を洗うように押し寄せてくることを思うと、卒倒しないとも限らず、熱中症予防の啓発ポスターよろしく適宜水分補給を心がけるべきか、けれどこの一口が致命的な尿意の呼水となったらどうしようかと、入口で手渡されたばかりのペットボトルを見つめ逡巡する。トイレに行っている間、場所取りしてくれる友人がいたらなあと思うも、気楽に連れてこられそうな人も思い浮かばず、水よりもビールが飲みたかったが、利尿作用を鑑みて手にしたのはノンアルコール飲料水。アルコールはとうの昔、午前中に摂取を済ませ、体内には一滴たりとも残されていない。開演までの時間はいつも尿意に支配されている。森羅万象に膀胱の疼きがつきまとい、尿意に怯え、尿意の奴隷と化し、尿意に行動が規制される。神々がステージに降臨することが最上の解決であり、曲が始まればそれは自然と霧散する。彼らが現れると、実際にそれは消えた。

演奏を皮切りに、ライブ仕様の身体へと整えていく。彼らのライブへ参戦するのはこれで4回目だった。ライブハウス内の不文律については心許ないが、曲のリズムや振り付けにはようやく慣れてきた。とはいえ、まだ至らぬ点も多く、そつなくこなすファンたちに私淑している。自然と滑らかに手や首が動く瞬間は、やっと私も馴染んできたのかなぁと、名状し難い喜びがある。暴れると称された動きをしつつも、抑制的な動作へ結びつけるよう注意を払う。あまり調子に乗ると、派手に振り付けを間違えてしまうから。

曲が終わるタイミングで、神が何度かピックを飛ばした。コロナが本格化していた時期はそういえば規制のせいか客へは飛ばさなかったよなぁ、ついに解禁か。私の立ち位置について述懐すると、ステージからはだいぶ離れた下手側の後方にいる。が、何度目かの投擲の末、飛来したピックは私を超えて、おそらく右斜め後ろ50センチくらいの位置へ落下した。へえ、ピックってこんなに飛ぶんだ。感心しつつ、しゃがみ込み、落ちたであろう位置に目を凝らすことは忘れない。許されるのであれば、床を這いずり回って探りたいが、蛮行この上ないのでやめておく。それにファンたちがいつまでも宝を泳がし続けるとは到底思えなかった。きっと幸福な誰かの手中へと既に収まっているのだろう。おしかった。けれど近くに落ちただけでも良かったじゃないかと、少し興奮気味で次曲へと向き合う。

お、また投げた。サービス精神旺盛だなあと微笑ましい気持ちでステージを見上げる。ライブもそろそろ終盤のはずだ。

サイリウムの揺曳へと音が沈み、束の間の静寂。と、軽いデコピンほどのボディブローを喰らい、カサリと乾いた音を耳朶で捉えたような気がした。まさか。いや、まさか。と、身につけていたウエストポーチと腹部の間へ視線を落とす。ピックって何度もこう遠くまで飛ばせるものなのだろうか。焦りつつもそれが引っ掛かっているであろうあたりを慎重に指でまさぐる。これはもしかしたらヤバいかもしれない、と語彙力0の脳内ナレーションが否応なく盛りたてる中、確かにプラスティックの感触を掴み取った。

エストポーチへその奇跡のかけらを丁重にしまい込む。大丈夫、きっと誰にも気づかれていない、はず。まるで指名手配犯にでもなったような心持ちで周囲の様子を盗み見る。実際、ファンたちを差し置いてこの自分がという罪の意識があった。紛れもなく罪だ。克明に告白し懺悔したい。飛来するピックを腹部で受け止め、ウエストポーチへと引っかかり、床に落下させることなくこの手におさめたのだと。のぼせたようにステージをぼおっと見ていた。ぼおっとしつつも、眼光を光らせすぎていたかもしれなく、卒然と恥じ俯いてみせた。そんな取り繕いを嘲笑うように尿は転生し、首筋にじっとりとした人間的な汗を生成している。

テストの悪夢

定期テストの夢をいまだによく見る。無意識的なストレスから派生したであろうそれは、大概の場合悪夢であり、事実とフィクションがないまぜになったものだ。とりわけ高校時代の夢が多いのは、当時、広範な出題範囲に悩まされてきたせいなのだろうか。

母校の進学クラスの授業カリキュラムは少々特殊で、端的にいえば進みが早かった。速度に比例して、テストの範囲もその分広くなる。数学1A IIBと、3年かけて習得するはずの英文法は、高校1年生の内に全て習い終え、2年生以降はセンター試験や私大などの過去問に着手するという流れだ。

「付いてこられない奴は容赦なくおいていく」まだ入学初日だというのに、学年主任は早々切り捨てるように宣言した。腹の立つ態度かつ厨二病っぽい台詞だが間に受けやすい10代の子供たちを動揺させるには充分な脅しだったし、実際みんなビビった。

「今日は授業やらないから、チャイムなるまで各自自習をするように」そう言い残して、主任は部屋から去っていった。突如舞い降りたスペシャルフリーな時間にも関わらず、まわりを見渡すと隣の席同士雑談するとか自己紹介しあうとか一切なく、配布されたばかりの問題集にみんな無言で取り組んでいる。嘆息した。だから進学クラスは嫌だったのだ。けれど、学費のスポンサー、つまりは両親が普通科を許してくれない。公立校に落ち、学費の高い私立高校へ入学したのだから、つべこべ言える権利など私にはなかった。ふと母の使っている化粧水のことが頭に浮かぶ。それはおそらくドラッグストアでも最安値で売られていて、アンチエイジングには心許ない代物だった。私の学費を捻出するためには、そういう物にも頼らざるを得なかったのかもしれない。母の老いる速度が早かったとしたら、それは私のせいということになるのだろうか。高価な制服の重みが負債として身体全体へのしかかる。拭い切れない後ろめたみたいなものがそこにぎゅっと濃縮されていて、希釈の術を私は知らない。

ずっとこの調子だったら先が思いやられるな、と思う間も、だれもシャーペンのカリカリを止めようとはしなかった。きっと彼らも同じような重荷を背負っている違いない。

授業のコマは多く、0限目から7限目まであった。時間にして、朝8時から夕方の17時までだったか17時30までかは忘れたが、日が暮れる直前までみっちりと授業を受ける。そのせいで、部活動に参加できる時間はほんの僅か残されていない。全く参加できないわけではないのだが、普通科クラスの人間がフルタイムで活動している中、終了間際に短時間だけ混ざるのも気が引けるからか、クラスメイトの9割は帰宅部だった。部活動は普通科とスポーツ科だけの特権なのだ。

0時限とは朝礼前に行う30分間授業のことで、英語と数学の授業を日替わりで受ける。朝8時開始のそれに遅刻すると、遅刻1回につき、定期テストの点数からマイナス1点されるというルールが存在した。英語の授業に遅れると英語のテストから、数学の授業に遅れると数学のテストから点数がそれぞれさっ引かれた。

0限と朝礼がおわると、今度は英作文の小テストが待ち構えている。参考書に書かれた5つの英文をあらかじめ丸々暗記し、その文章を解答用紙へ一字一句間違えず記述するというものだ。及第点は全問正解のみ。一文字、いや、句読点の位置が少しでもずれるとそれは不正解とみなされ、ペナルティが課される。文法的に誤りなく、充分に意の伝わる英作文を完遂させても、お手本通りの文章を記述しないと不合格ということだ。馬鹿げているが、出題者へ抗弁するだけの胆力は誰も持ち合わせてはいなかった。

ペナルティは出題された英文5つを、1文につき20回書き写すというもの。つまり5✖️20で100つの英文を書く。提出期限は当日中で、提出が遅れた日数分だけペナルティの量が加算されていく。ちなみに病欠で遅延した場合もペナルティは積み重なる。この罰のおかげかクラスメイトのほとんどが2本のペンを片手に握り、同時に2行の文章を書くという技術習得していた。強者は3本のペンで3つの文章を同時に書いていたと聞く。

と、ここまで書きながら当時を振り返ると、高校はわりと厳しい環境だったとおもう。スパルタなわりに、緊張で脳味噌が萎縮し続けていたせいか学んだことはほぼ忘れてしまった。学校生活でもっと辛いことはあったが、比較的ライトなことだけ書いてみた。書きたくないほど辛いことは、面白くないしここには記述しない。

夢の中の私はいつも試験勉強が間に合っていない状態で、テストの日を迎えている。いつになったらこの冷や汗から解放されるのだろう。

良い学校と、良い会社に入ること。出来ない人間は社会に出てからふるいにかけられるから、常に頑張り続けなればならない。学生時代は、そんな新自由主義的な言葉にいつも心を掻き乱され急かされてきた。10代そこらの子供をそんな風に追い詰めちゃならないのだと、今ではわかる。けれど、社会構造がそうさせている。

私は誰も追い詰めたくない。連鎖に加担したくない。

だから子は持たないと決めた。元々欲しくはなかったが、積極的な意思へと転化したのも高校の頃だった。

そして、処置した。私の体内にはわずか32mm程度の黄体ホルモン放出システムが埋め込まれている。装置が順調に作動し続ければ、私の身に生は宿らない。女を産む機械としか思わない人間たちからすれば悲鳴ものだろうが、彼らの展望に添うよりは自分の意思を貫きたかった。

今この身が手繰り寄せられるのは死だけだ。勿論、ピリオドの位置だって出来る限りは遠ざけたいものだけど。