kira kira blog

キラキラな感じで 。

若者に食べさせたがりメンタリティ

宿泊先付近のイタリア料理店で食事をしていた時のこと。近くの席にいた大学生らしきグループが料理を次々と平らげていく様子が目にとまり、その健啖ぶりに驚かされた。膝にはナプキンを敷き、ナイフやフォークを慎重に扱うような雰囲気の店だというのに、見栄え良く盛られた肉が、魚が、野菜が、瞬く間に消えいく。なぜだろう。掃除機みたいに食べ物を無我夢中で吸い上げていくそのさまが何だか微笑ましく、ほぼ無意識的かつ無遠慮に見続けてしまった。はたと我に帰り凝視をやめる。以前までなら彼らを見たところで何の所感もいだかなかっただろう。なのに今、食べ方が汚ければ汚いほど、たまたま近くに居合わせただけの客席に対する微笑ましさ度合いは増していくような気がする。こんな気持ちになるなんて。歳をとったせいだろうか。連れに聞くと「それは歳だね」と返された。 

たくさん食べる若い人を見ると、たらふく食べさせてあげたくなる。自分にそんな感情が芽生えつつあることに気づき、何とも言えない気持ちになる。

彼らくらいの年齢だった頃、自分へしきりと食べさせてこようとする大人たちを、私は忌避していたのだ。

「それしか食べないの?だめだよもっと食べないと」

当時、学校や会社へちんまりとした弁当箱を持参する私をみて小言を挟んでくる人たちが、煩わしかったし、放っておいて欲しかった。食事こそが最重要課題と言わんばかりに説得してくるけれど、私としては3食食べること自体が億劫で、なんなら最低限の栄養摂取を点滴で済めばいいのにって思っていた。我ながら面倒くさがり屋にも程があるとは思うが、私は私だから仕方がない。

20代前半の頃は今よりもずっと痩せっぽっちで、その体型が彼らの教条主義へ余計に拍車をかけてしまっていたのかも。なにも一食抜いたところで死にやしないのに。憚りなくそう反駁できれば良かったが、火に油どころかガソリンを撒き散らすだけなのが目に見えたのでのみこんだ。

そんな私がいま、若者へ食べさせたがり系な人々のメンタリティへと歩み寄りつつある。和平の日は近い。変化をもたらした要因として、私自身が食事を好きになったことが大きいのかもしれない。お酒と食事のマリアージュを知るまで、きっと味覚の一部が死んでいたのだ。

人生の楽しみが増えたのは有り難い。が、増加しすぎた体重を少しでも減らさないかと悪あがきする今日この頃,