kira kira blog

キラキラな感じで 。

トレモロし続けていたフリック入力

日本を取り戻す、取りもろす、取れ漏ろす。一年前に死んだ男の演説。どんなに忌み嫌おうとも彼の滑舌の悪さまで笑う気になれないのは、それ自体は罪ではないし生来のものかもしれないからだよなと思う。母音が不明瞭なため、言葉の輪郭が活用形のように変化し、耳朶へ残ったのは、トレモロす。〝掴み損ねた何か”を希求しているかのように虚しく響くが、そう連呼しているうちは手中におさめたとしても、こぼれ落ち続けることだろう。こちらとしてはそのほうが都合良く、偏狭なナショナリズムに塗れた青写真は青写真のまま、一ミリ足りとも実現して欲しくない。
語感のユニークさにつられ、記憶が再燃する。解析度の低いこの脳みそは現在進行形で大切な何かを掴み損ねているに違いなかった。
 直近だとそれはフリック入力だった。
 つい最近まで私はフリック入力を知らなかったのだ。それはいつから存在していましたか?スマホが普及された時からだよ、と知人が教えてくれた。なるほど。これは完全にトレモロし案件だ。
なぜ気づけなかったのか。端緒はいくらでも転がっていたというのに。思えば、同僚のスマホによる文字作成速度は私の2倍は早かったし、その速度の差を生み出す要因について考えあぐねていたが、部内の簡単な伝達事項については後輩にショートメールの作成を任せることでやり過ごしていた。ひきかえ、私のスマホ操作はあまりにも遅く、会社スマホにメールが届いたとしても返信はPCで行うという始末だった。「り」や「おけ」で済む間柄なら良いが、全てがそうとはいかない。文字作成にはいちいちストレスが伴い、挙げ句の果てにスマホ用のキーボードを購入するに至った。でも、これテーブルがなきゃ広げられないし、鞄のなかに入れるとかさばるよなあ。いつしかキーボードは置き去りにされ、母音が”お”の文字についてはタップを5回する日々が続いた。
 で、やっと出会った。フリック入力できるorできないという議論をネット上で目にし、そもそもできるできないの前に、それは何?という疑問にぶち当たったのだ。ワットイズディス?議題の中心にあがるキーワードを検索した。そして知った。
 たとえば、「あ」の文字を長押しする。すると、見たことのない謎の十字キーが浮かぶ。十字キーの中心と上下左右にはそれぞれ文字があり、「あ」を起点に、9時の方向から時計回りに「いうえお」の母音が順に取り囲む。あとは打ちたい文字の方向へ指をスライドさせればよい。おそるおそる下方向へ指を擦り、瞠目した。タップなしに即座に「お」が、打てた。打ててしまった。
 なんてことはなかった。長年の疑問が氷解する。みんなこうしていただけなんだ。なあんだ、これなら早く打てるじゃん。
ちなみに、長押しして十字キーの出現を待たずとも、指をスライドさせるだけでフリック入力できると知ったのは、さらに後になってのことだった。フリック入力をマスターするまでには約3ヶ月を要した。長かった。